2008年11月30日
旅のお伴は


今回の旅も終わろうとしている。朝5時41分始発の電車を待っている。
今、出発のベルがなった。
しかし、ハードスケジュール。
でも、旅はいつでも楽しい。
そして、親父の旅のお伴は角瓶だとなる。
スキットボトル風の瓶が郷愁をそそる。
つまみは何でもかまわないが、できればピーナッツ系がいいなぁ。
前回の旅で新幹線ホームで買った味噌味の卵、結構いける。
こんなものも旅限定なのかも。
2008年11月29日
沖縄モノレール紀行(古島駅)

古島駅(ふるじまえき)
11月3日(月・祝)9時50分
古島駅は以前にお話ししたことがある美栄橋駅と同じように私としては使いにくい駅と感じていた2つの駅のひとつです。
ここは新しく出来上がりつつある那覇市の新都心の北側にあたり、今までに見てきた「赤嶺駅」「小禄駅」付近の住宅街とは違った現代的な公共集合住宅がありました。
ただ、住宅街では観光を目的として旅をしている私にはある意味では関係ないということになってしまいます。
ステンドガラスの写真を撮り終えて逆の方向のモノレールに乗ろうとしてホームで待つ間に「雨が降ってきたなぁ」などと景色を眺めているとすぐ下に学校が見えるではないですか。じっくり見ると良く知っている学校です。
この人の出身校だと言えばわかる人がいるでしょう。その人はプロボクサーの具志堅用高です。
彼の活躍をお話しする前にこの学校の名前を明かしましょう。その学校は興南高等学校です。
今日まで知らなかったですが興南高校って私立なのですね。調べてみると学校法人興南学園が運営する私立中・高一環学校で生徒数は1300人だということです。
さて、具志堅用高選手の話しに戻すとかれはWBA世界Jrフライ級チャンピオンとして連続13回防衛するという記録を持っています。
彼がチャンピオンになったときの試合は忘れられません。今でこそ戦歴の少ない選手でも世界戦に登場することはできますがその当時の日本ボクシング会はチャンピオンラッシュというかどの階級でも層の厚い時代でした。
そんな中、彼は9戦目という戦歴で世界戦に挑戦します。当時のチャンピオンはファン・グスマンというドミニカの選手で22戦21勝1敗の戦績。そして15KOとハードパンチャーです。
この試合壮絶なパンチの応酬になり、グスマンが圧倒的に有利だという予想が出ていたのを憶えています。しかし、その予想は外れます。具志堅の方が初回から打ちまくりです。そして、ついに7RにKO勝ちしてしまうのです。
今までの日本人にはない攻めのボクシング、ハードパンチのボクシング。そして、大記録へ突っ走ります。仇名は「カンムリワシ」でしたかね。彼の試合にはKOシーンが必ずあると信じてテレビで観戦していたことを思い出します。
現在、マスコミなどでは彼のことをちょっと不思議な人間的に紹介しますが、本質をきちんと伝えて欲しいものです。
誰もなし得ないことをやった沖縄の英雄のひとりなのです。(予断になっちゃったー)
次は本格的な雨のおもろまち駅です。
2008年11月28日
メタボ診断

昨日は国民健康保険加入者対象の健康診断を受けた。
今年からメタボリック対策用の検診が増えたと聞いていたがそれがどういうものであるかは私は分かっていなかった。
例年は基礎検診、大腸がん、胃がん、心電図の4種類で2,500円ぐらいを払うことになっている。
無料ではないが通常の健康診断に比べれば安いと思う。
今年は大腸がん、胃がんが行われて、先生に結果を見ていただいたあと
雑談をしているときに先生に「メタボリック検診は?」と聞くと
「するのですか?」と返事があり、
「はい、申し込みましたよ。」
「変だね。調べてみて…。××ちゃん」
「先生。申し込んでいただいてありました。」
こんな感じで、もう一度、やりなおしだった。
検尿、採血、アンケートに続き身長体重。
そして、腹まわりの測定。
TVCMと同じで「力を抜いてくださいね」
「91cmです。」
「メタボ系ですね」
「そいうですね。次、心電図に行ってください」と冷たく言われた。
総合的な判断は1ヶ月後ぐらいあとにでるらしい。
でも、腹まわり測るだけが例年と違うだけであとは同じだし、金額も同じ。
これなら変わりないじゃんと思いつつ病院をあとにした。
2008年11月27日
沖縄モノレール紀行(安里駅)

安里駅(あさとえき)
11月3日(月・祝)9時20分
朝ごはんが食べたいと思いながらモノレールに揺られてきた。
「何を食べるのかが問題だ。そんな哲学的なものではないでしょ。空腹を埋めるものは何かでしょ」とひとり突っ込みを入れながら安里駅までやってきた。
安里駅はひめゆり通りに位置している。駅舎のすぐ下に24時間営業のスーパーマーケットがあった。ここで朝ごはんを探すことにしよう。ちょっと見たいものもあるし。
何かって。
それは前日、ホテルの自室か待ち時間のなかで目にしたテレビ・コマーシャルで沖縄家庭料理として有名なサーターアンダーギー粉に「紅いも」が入ったものを紹介していた。
ぜひ、これを見てみたい。
店舗の中に入って商品陳列棚を見て最初に目に飛び込んできたものは沖縄産のなにかではなく内地の商品であった。
例えば、讃岐うどん、信州そば、○○ラーメンなど
ゴーヤには沖縄産と表示がしてあるではないですか。私の中では沖縄の代表的な存在である「ゴーヤ」も今では沖縄以外でも作られていることを知ることになろうとは驚きでした。
さすがに鮮魚のコーナーは近海物が並んでおり、私の日ごろ目にすることのない魚たちが置かれていたのでちょっと安心しました。
スーパーを見て回る中で沖縄の物だなと思えるような加工品は非常に少なく感じましたし、逆に内地さんの物が多く締めている現状が日本における流通業の恐ろしい一面を見たような気がしました。
ただ、先にもお話しましたが沖縄の家庭料理やお菓子のコーナー、また、手作りコーナーとなると個性的なものを発見することができました。
お目当ての紅いも入りのサーターアンダーギー粉も見つけました。
そこで妻にすぐ電話してみたのです。妻に経緯を話して我が家にもこの粉が必要かと聞きました。すると即答です。「必要ない。」
「誰が調理するのですか」「誰が食べるのですか」との指摘があり、私は調理しませんし、食べませんから妻の意見に従わざるを得ません。
結局、このスーパーを一周して購入したのは飲料水1本でした。妻の意見に疲れた私は食欲も飛び散ってしまったようです。
スーパーを出ると雨が先程より強くなって来ているような感じです。
この店の前には早朝からやっている沖縄そば屋さんがあり、この雨の中、地元のカップルと思われる二人が沖縄を啜っているのを横目で見ながら駅舎に戻って行きました。
これからが壮絶な雨との戦いの時間となります。この続きは次回に…
2008年11月26日
沖縄モノレール紀行(旭橋駅)

沖縄モノレール紀行、ご愛読ありがとうございます。
休載前は毎日の発表でしたがこれからは不定期に綴らさせていただきます。
旭橋駅(あさひばしえき)
11月3日(月・祝)8時50分
壺川駅のホームでモノレールを待つ間に空は曇りの度合いを深めていたのですが旭橋駅に向うほんの少しの時間に雨が落ち始めました。でも、まだ傘が必要な雨ではないですが。
旭橋駅には那覇バスターミナルがあります。
前にも書きましたがバスは観光客にとっては結構使い勝手が悪い感じがしました。
やはりバスでの観光となるとツアー便みたになってしまうのでしょうか。でも、車社会の沖縄においては住民の足になりえているはずだし、なって来たはずではないでしょうか。
観光客には不便でも住民の皆さんは上手く利用しながら路線バスを有効に活用しているのかもしれません。
路線バスは那覇市内だけを行き来するためだけでのものではないはずですから那覇を中心に北中部や南部との連絡には有効なのかもと考えてしまいます。
また、ゆいレールができたことでこのバスターミナルの使われ方に変化が起きたのでしょう。
これまで見てきた「首里駅」「儀保駅」、これから見る「古島駅」は沖縄本島北中部から、「赤嶺駅」は南部からの乗り継ぎ駅として期待され、運用されています。
バスターミナルの運営の方法が集中型から分散型に変化して来ているように思います。
これに伴い、利用者の利便性に配慮したバスターミナルの建設も考えられているような気がします。
このような面から見てもゆいレールが那覇市内を走行しているということが住民の利便性を考えたときには重要なポイントとなっているような気がします。
さて、私にとっては今晩行かなければならない「那覇市民会館」までのバス路線を探す必要があります。
そこでバスセンターの案内所を尋ねてみました。
すると路線は思ったより多くの路線があります。果たして国際通りから市民会館までの便利な路線はあるのでしょうか。
あるなら、どこから乗るのでしょうか。
結局、一本の路線で行くことは難しいことが判明しました。
次の方法は乗り継ぎすれば行けるのか。ゆいレールで他の駅に移動してからのジョイントで行けばいいのか。いろいろ探ってみたところ「安里駅」からのバスジョイントがあることが判明しました。
このバスの案内所であれこれしていると都会から来た方々でしょうか路線バスで観光地を回ってみたいというグループが入ってきて係の人と話を始めました。
都会人の住居地での公共交通の利便性と(私の住む町でも同じことがいえますが)観光を中心とした場所のバス利便性には大きな違いがあることを認識して帰られたように感じました。
斯くいう私もバスに乗らずにタクシーで市民会館には行ってしますのですがその理由は今後のレポートをお楽しみに…。
2008年11月25日
連休明けの朝

23・24日と東京への出張だった。
仕事の合間を縫って最所美咲ちゃん率いる劇団の稽古を見学にも行って来た。
旗揚げ公演なので頑張って欲しいものだ。
この旅で確認したことひとつ、
外食は太る。
肉系の高カロリーそして、運動不足。
発見ひとつ、
新幹線の最終のひかりは22時30分がなくなって、22時で終了となっていた。
写真は参宮橋通りのトン串屋「七福」で食べた「半生レバー」
2008年11月23日
2008年11月21日
沖縄モノレール紀行(奥武山公園前駅と壺川駅)


奥武山公園駅(おうのやまこうえんえき)と壺川駅(つぼがわえき)
11月3日(月・祝)8時10分
沖縄での大きなイベントである「那覇まつり」や「産業まつり」が行われる奥武山公園。
この公園は沖縄県では初めての運動公園で陸上競技場、野球場、体育館、テニスコートなどのスポーツ施設が集められている。
スポーツを目的にする人々には陸上競技場、野球場、体育館、テニスコートなどのスポーツ施設が集められているこの駅方面を利用することが多いのだろう。
朝8時、小学生らしき子どもと父親がグランドでキャッチボールを始める。ジョギングの常連さんだろうか私と同世代と思われるちょっとメタボな感じの男性がタオルで汗を拭き吹き彼らの周りを走る。
野球場は改装工事中のようだ。沖縄はプロ野球のキャンプ地ともなっているので2月の各球団受け入れのためには今工事が必要なのだろう。
祭日とは関係なく工事の機械類がすでに動き、資材がクレーンで持ち上げられています。日程に遅れが出ているのでしょうか。
クレーンの動きが何かしら急いでいるようにも見えます。
さて、この公園の横には那覇市山下町というところがあります。ここでは国内最古の化石人骨が発見されたところで人骨の年代は約32000年前の子どもの人骨です。
このことから日本には30000年前ぐらいから人類が住んでいたことがわかります。
公園の横には国場川という河川が流れています。この川を渡ると壺川駅に着きます。
壺川駅からはこの奥武山公園へは明治橋という橋が掛けられており散歩には最適です。
どうして、明治橋なのかと私はちょっと疑問を持ちました。沖縄の文化から行けばちょっと似つかわしくないネーミングだとは思いませんか。もうちょっと沖縄らしい名前が付けられていてもいいのではないかと思いました。
その理由もこの公園の中にありました。この公園には運動公園としてはめずらしく森のような場所を見ることができます。
実はこれが神社だったのです。安里八幡宮、などと並んで古くから沖縄の人たちに親しまれている琉球八社の一つ、沖宮や、農業や商売の神様である世持神社などの、神聖な場所も敷地内にあります。
この神社などを目的に壺川駅から明治橋を渡って神社参拝のためにこの公園を訪れる人々も多いのでしょう。
私も壺川駅から少しこの公園を散策してみました。大きな川で流れはゆっくりです。
かつては塩害のために地下水を飲み水として使用できなかった人々はこの国分川の上流から真水を運んだというような歴史的な事実を伝える掲示板もあります。
そこで私の目を引いたのは川岸にブルーシートでテント生活するホームレスの姿でした。
2008年11月20日
沖縄モノレール紀行(赤嶺駅と小禄駅)



赤嶺駅(あかみねえき)と小禄駅(おろくえき)
11月3日(月・祝)7時55分
牧志駅から那覇空港方面にゆいレールで進んで行く。帰り道というイメージになる。
けれど、そうではないのだ。これからが出発なのだと心が躍る。
車両から景色を眺めながら今日一日で全駅を踏襲できるかどうか考えてみる。どうにか行けるかもお天気の都合にもよるけど…。
小禄駅通過。車窓からは住宅地が見える。赤嶺駅の方にも繋がっているように家並みは途切れない。
このとき、頭に閃いた物があった。国際通りを北から入る牧志駅、南から入る県庁前駅、ひょっとするこのふたつの駅も同じような使われ方がされているのではないか(実際、明日紹介2駅もそうだったのですが)。
住宅の密集する北と南に配置されているのでないのか?やっぱり予想どうりそうだった。
赤嶺駅は自衛隊のレーダー施設が途切れたところのすぐ横にある感じです。
この駅からゆいレール沿線の南側住宅街が北に向けて密集を始める感じです。
この駅は軌道を持つ乗り物の駅の中で日本最南端にあります。そして、糸満市・豊見城市など、本島南部への入口となっています。
日本最南端の駅モニュメントがあるのですがいろいろ考えているうちに写真を撮るのを忘れてしまいます。
この駅も祭日のこの時間では人影はまばらです。そんな中、バイオリンを持った女子学生と同乗します。レッスンに出かけるのでしょうか。それとも学生服を着ているところをみると学校のクラブなのでしょうか。
朝早くからご苦労様と声を掛けたいような気分になりました。
彼女のバイオリンを持つ姿に目を奪われているほんの少しの時間のうちに小禄駅に着きます。当然、私は下車しますが彼女は目的地に向うためそのまま乗車しています。
彼女のせいではないのですが赤嶺駅に軌道を持つ交通機関の駅としては日本最南端の駅であると証明するモニュメントがあるのを忘れてしまっていました。
あとで写真を撮りに帰るのことにしました。
さて、話を小禄駅に戻しましょう。この辺は区画整理された街並で住宅街の北側あたりになるのでしょうか。これから先は公園緑地帯となります。
なんといってもここは全国どこに行ってもあると言われるイオン・ショッピングセンターが駅にジョイントしています。まだ開店はしていません。見慣れた風景を沖縄の地で見ることもちょっと不思議な気持ちですね。
地元の商品を物色して、昨夜食べたソーメンチャンプルーの味の秘訣をここで探り出したいと考えながら次の駅に向います。
明日も2つの駅が連携されていることでうまく使われている例を紹介しましょう。
2008年11月19日
沖縄モノレール紀行(牧志駅)

牧志駅(まきしえき)
11月3日(月・祝)7時40分
この駅はまさに国際通りの北の入り口なのです。
改札を抜けて階段を下り、道路に立つとそこが国際通りなのです。
沖縄観光に来た人は必ず訪れると言っていいほど観光客を目にすることができるというよりは観光客だけと思われるような通りですが祭日で朝の牧志駅にはほとんど人の乗り降りがありません。当然です。つい今しがたまでこの通りは賑わっていたのです。
これからしばらくは安息の時間となるのでしょうか。
いやいや、夜のネオンが消えるころこの通りには昼の夢の世界が目覚めてきます。
その準備でしょうか。若い店員風の人、数名が降りていきます。
今日も修学旅行らしい学生たちが制服で、グループでこの通りを闊歩するはずです。
彼らにとっては欲しいもの、買って帰りたいものがたくさんあるはずです。
学生たちに沖縄の名を売るのでしょうか。
この通りを歩くと個性的なデザインや沖縄のことばをロゴとして使ったプリントのtシャツや沖縄の民芸品をモチーフにしたファンシーなグッズを売るお土産店など、若者にターゲットを絞ったような店舗が目白押しです。
あと30分もすればお店の準備が始まるのでしょう。足早に下りる階段の様子からそのような雰囲気を感じました。
さて、同じ国際どおりを歩いても私のような年齢の人たちには泡盛やハブ酒を売る酒店。アメリカンスタイルのステーキハウス。沖縄料理・郷土料理と舞踊の店などちょっと若者たちと違うところに目が行ってしまうのことが悲しいところです。
話はちょっと変わりますがこの通りで沖縄の地元の人たちを見ることはあまりありません。やはり、観光客のための通りだからでしょうか。
では、どこで地元の人たちを感じることができるのかなのですが、この通りの横丁的な通りの元気がいいのです。
この通りの概ね真ん中あたりに三越百貨店があるのですが、この向い側ぐらいにアーケード街があります。その名を平和通り商店街といいます。
国際通りが観光客向けの表舞台とするならばこの通りは地元民の普段の姿を見ることのできる通りだと思います。
お店の間口は小さく、働く人たちもおばちゃんが多い、ことばも表舞台とは違い沖縄のことばが飛び交う。元気がいい。まあ、旅行ガイドなどで紹介されているので有名ではあると思うのですがやっぱりこちらの通りの方が私には落ち着く場所です。
以前に来たときにも立ち寄ったことがあるので今日の昼食はこの近くの公設市場で取ることにしようと決め、今日の予定へ…
2008年11月18日
沖縄モノレール紀行(美栄橋駅)

美栄橋駅(みえばしえき)
11月3日(月・祝)7時30分
人間の習慣というものは恐ろしい。6時30分になると目が覚めてしまいます。
昨夜はホテルに帰ってからすぐに寝入ってしまったので目覚めるとすぐにお風呂です。
コザへの移動の途中でタクシーの運転手さんに「何時ごろ夜が明けますかね」と聞くと「6時半には明けますよ」って教えてもらっていたのですが外はまだ暗く、天気も曇り空のような日です。
風呂上りの体をタオルで拭きながら今日の予定の設定です。雨で予定を変更しなければならないかもとまずはどの駅からスタートするかを考えました。選択は3つ。
最寄り駅の県庁前駅、ちょっと離れた美栄橋駅、そして、国際通りの反対側となる牧志駅です。
今回のモノレールの旅でプランを考えている時に使い勝手の悪そうな駅というのが2ヶ所ありました。そのひとつがこの美栄橋駅だったのです。
なぜなら、この駅は国際通りからは少し離れた位置にあり、北の牧志駅、南の県庁前駅に挟まれた状態ですから今回の旅では利用度が低いのではないのか、この駅だけが残るのではないのかと考えていたのです。
その思い込みは今晩の深夜に屈がえされるのですけれども。
さて、この駅に決めたのは昨夜の夕食会のおかげです。牧志駅で下車することなく県庁前駅まで来てしまったのでこの美栄橋駅がクローズアップされてきたのです。この駅をスタートして牧志駅に向かいそこから計画していた駅を回ろうと決めました。
駅までの散歩途中、何げない朝の公園風景の中に年輪を感じさせる木や鳥の声、夜遅くまで賑わう繁華街も一本道を入ればこんな自然を感じることができる場所を持っている。
そんな風景を感じたとき、なんか嬉しくなってしまいました。
後から知ることになるのですが今夜行われる公演の打ち上げパーティーがこの近くで行われたのです。
そして、この美栄橋駅付近が夜の街であることを知りました。駅の近くには沖縄そば屋、琉球菓子店、漆器店、オリジナル郷土品店などが並んでいます。そして、その中に間違いなくいろいろな国際通りとは違った街がありました。
深夜、ホテルに帰る道で沖縄には眠らないところがたくさんあることを知りました。
この駅から海岸方面に向けてのショッピングや観光をする場所があるのです。
特に沖縄の島から島へ船で観光される人や離島の人たちには海のメインターミナル「とまりん」という施設にも近いので船と航空機の繋ぎや離島の人々の生活を支えている駅でもあることがわかります。
やっぱり、駅には意味があるのですね。
2008年11月17日
沖縄モノレール紀行(コザ)


沖縄市(通称コザ)の夜
11月2日(日)17:00
集合時間から遅れること10分やっとメンバーが揃い夕食会の場所に出発。
行き先はお任せしてあるのでどこへ行くのかもわからない。ただ、沖縄市に行くという。
「沖縄市って。コザのこと?」と私、
「はい。車で1時間弱ですかネ」と前出の匠さん。
「一昨年、沖縄でThe Winds Of Godの公演をした際に見つけたお店で、すっごくいい、おっかぁがいる店なんですよ。沖縄料理がおいしいところです。」って。
後で聞いたところによると今回の公演では音響助手を務める木村君たちが前回の公演のときに見つけたのだそうです。木村君はもうここの子どもみたいです。飲むより食うよりお手伝いの方が忙しいって感じでした。
コザは二つの名前を持つ街で沖縄市というのが正式名称で通称はコザ市です。
那覇市に次ぐ第二の都市なのです。
この町も戦争によって大きく揺れ動いた町で米軍の駐留によって生まれた町なのです。
そして、沖縄県内の市町村の中では最も米軍と深いかかわりを持っています。
米軍統治をという苦しい時代はあったのでしょうが一方では米軍相手の商業を中心に発展したという側面も持っているのです。
コザ市はその後合併をして沖縄市となるのですがあまりにも大きいこの地名は今でも住民の生活の中には生き続けているのです。
さて、食事の話に戻しましょう。
お店の名は「風車」と書いて「かじまや」と読みます。日曜日とあって町のイメージは暗いの一言なのです。飲み屋さんの外灯もほとんどが点いていません。そんななかに役者さんたちを待っているかのように一本の提灯がぶら下がっています。まさにこの店です。
入っていくとおっかぁが握手をしてくれました。私は自己紹介ができないですね。どのような立場でこの席にいるのでしょうか。支援者ですか?面白くもなんともない肩書きですね。お邪魔虫と言うべきだったでしょうか。
料理は沖縄郷土料理。チャンプルーなど定番のものが出てくるのですが出てくるものみなが美味しいのです。
私はソーメンチャンプルーが一番気に入りました。これはどうやって作るのでしょうか。
企業秘密ですから聞けないでしょうがどこかでこの味を見つけてみたいものです。
お酒はもちろん、オリオンビールから泡盛へしっかり飲み、キャストやスタッフの皆さんとお話させていただいて楽しい時間でした。
6時ごろについて約4時間あっという間です。今日一日の旅がこんなに長いとは盛りだくさんの行動で私はもう動けません。
帰りはワゴンタイプのタクシーで国際通りまで戻ったのですが夢の中でした。
部屋に帰ってばたん。おやすみなさい。
また、明日も盛りだくさんでいきます。
2008年11月16日
沖縄モノレール紀行(県庁前駅)

県庁前駅
11月2日(日)16:10
県庁前駅駅の改札からエスカレーターでゆっくり降りていくと目に入ってくるひとつの交差点、この交差点の左側が那覇市のメインストリート「国際通り」の南側入口になっています。
この入り口角には土産物屋がカラフルな色の看板を打ち立てており、まさに観光の中心という感じで観光客を呼び込んでいます。
右側を見ると今度は官公庁のモノトーンの高層建築が見えてきます。沖縄県庁や那覇市役所なのでしょう。
共に沖縄の、那覇の象徴です。カラフルな看板とモノトーンの建物のミスマッチはなんとも言えないものです。
さて、ホテルまでは約5分。早速チェックインをして秋とは言っても気温は30℃近いなかを今日一日動いてきたので食事に行く前にTシャツを取替え、タオル・カメラのような持ち物を点検して集合場所に向けて出発です。
集合場所には予定より早く着いてしまったので出発までの間に歩行者天国で行っている路上パフォーマンス(トランジットモール)をミネラルウオーター片手に見ていました。
プレスリーの曲に合わせて当時のリーゼントヘアーや衣装をつけた若い男女がツイストを踊るグループや大道芸で観客を笑わせるパフォーマンスが角々で行われています。
この日はタイ国との交流行事があったようでタイの音楽やパフォーマンスを見せているようなところもありました。もちろん、タイ式ボクシング(通称キックボクシング)の試合も披露されたみたいです。
さて、この国際通りで感じたことは私が1970年に始めて沖縄に来たときに比べてすごく綺麗になったということです。当時、この通りに面したホテルに宿泊したのですがシャワーが壊れていたり、お湯が出なかったりしだったことを憶えています。
その時代は沖縄がまだ日本ではなかった時代です。アメリカの占領地だったのです。
私は中学1年生。船で鹿児島から沖縄に渡りました。その時に初めて飲んだコカコーラの思い出は絶対に忘れることのないものです。
経済的に言えば当時のドルに対する円レートは360円で現在のような変動相場ではなく固定相場だったのです。どうして、円が360円であったかという話はマッカーサーがレート決めるときに「円」の意味を通訳に聞いたとき通訳は「サークル」と訳したので円は360度をという洒落みたいな決め方をしたというのが通説です。
このレートで考えるとコカコーラの値段は10セントで36円でした。私たちが自宅近くの駄菓子屋で買うたこ焼きは3個で10円の時代でしたからコカコーラって高級品だったのです。このころ日本ではまだ一部でしか販売されてなかったと思います。
2008年11月15日
沖縄モノレール紀行(儀保駅)

儀保駅
11月2日(日)15:55
首里駅に戻りたい私は近くのコンビニにはいり公共機関であるバスは通っていないかと聞きました。残念ながら首里駅に向かうバスはないということです。タクシーで国際通りまで行った方がいいですよとアドバイスを受けたわけですが、どうしても儀保駅に今日行きたかったのです。そこで、今、降りてきた石畳を登る覚悟をしました。ここで昼食の時の教訓が活きます。地元の方々が登る階段を見つけバスの走る道路まであがると目の前にバス停がありました。
時刻表を見るとあと2分でバスがやってくることになっています。
このバス停は、慰霊塔の下にありました。この慰霊塔は沖縄戦が行われたときに旧首里一中の生徒たちが「鉄血勤皇隊」という組織を作って自分たちの町を守ろうとしたのです。
しかし、残念ながら優秀な学生の多くが命を落とすこととなったのです。
そこで英霊の鎮魂を願って建てられたものでした。ここから首里駅まで沖縄のおじちゃんだなって思われる運転手さんの100円バスで帰ってきました。
時刻は15:50。それでは儀保駅に向けて出発です。各駅停車の旅ではよく行われる一駅づつ降りる方法で駅を見ていくのですが儀保駅到着に到着してから10分で次の電車がやってきます。駅舎の改札口まで行ってステンドガラスの写真を撮ってからまたホームに戻ってきます。
ホームについて気がついたのですがこのホームいろいろなところがよく見えます。それもそのはず、ゆいレールのなかで市立病院駅から儀保駅に向かう支柱の高さが地上から一番高いことにあるそうで、東シナ海に沈む夕日や那覇市の夜景を眺められるそうです。
こんな昼間来るより夕日が海に沈むころや夜景を眺めるに来るべき場所だったのです。
そのためか眺めを重視する高級のホテルはこの近辺に建設されています。
また、この駅の周辺には旧跡や古くからの営まれているお店があると聞いていましたので町の散策をするのもいいかもしれません。
でも、私にはもう歩くという力は残っていませんでした。それと夕食会への集合時間が気になります。ゆいレールに乗ることにしましょう。
今回の私の宿泊するホテルは国際通りの県庁前駅側に取りました。当初の予定では国際通りの北の入り口から牧志駅から私のホテルのある県庁前までの約1マイル(1.6km)で行われている歩行者天国や路上パフォーマンス(トランジットモール)を見ながら歩いて行くつもりでいました。
しかし、前述したように首里金城町の石畳での足の負担は大きく、重ねて夕食会の集合時間に間に合わすためには牧志駅での下車を断念し、県庁駅前からホテルに入ることにしました。
2008年11月14日
沖縄モノレール紀行(首里金城町散策)



首里金城町の石畳道と大アカギ
11月2日(日)14時40分
琉球の伝統を満喫している私に入ったメールは今晩のお食事の連絡でした。
明日、那覇市民会館で公演される「TheWinds Of God」という演劇の主役のひとり、松本匠さんからの連絡です。
集合時間は午後4時30分、場所は国際通りのあるホテル前でした。
でも、私はもう少しこの付近で見学したいいところがあるのです。時間も心配ですが、チャレンジしてみましょう。
さて、首里城は日本の城の形式でいうと山城です。ですから、城を出ていろいろな方面に出て行くには山を降りなければなりません。
この道の中に首里城から南部の港へ通ずる主要道路として造られた「真珠道(まだまみち)」というものがありました。
この道は琉球石灰岩で作られた石畳で全長10Kmにも及んだそうです。しかし、この重要な道が戦争などの歴史上の喪失によって、今では首里金城町の約300mが残るのみとなっているのです。この機会に絶対見たいと思い足を向けました。
この石畳を歩いていくと道沿いに赤瓦に石垣の古民家の一軒があるのです。その建物は青年たちが集まる集会所となっていました。
日曜日ということもあって、若者たちが集会を行っていたのですが若者たちは話し合いの途中でも観光客が通ると声がけをしてくれるのです。旅先での暖かいその声は徒歩でその石畳を回る私に元気をくれました。
ただ、珊瑚礁を含んだ石畳であり、急な下りがあるので雨の日は注意が必要だろうな。
もう一つ、この石畳の途中には戦火を耐え抜いた首里金城町の神の木である大アカギの群生しているところがあるのです。
推定樹齢200年以上と思われるアカギの大木が六本生育しています。
木の高さは見上げると相当高いと感じられるのですがどうでしょう20mくらいはあるでしょうか。
アカギは琉球列島、熱帯アジア、ポリネシア、オーストラリアなどに分布するトウダイグサ科の樹木ですがこのような大木群が人里に見られるのは内金城嶽境内だけだそうです。
資料によると第二次世界大戦までは首里城内及び城外周辺にもこのようなアカギの大木が何本も生育していたそうですが、戦争でほとんど焼かれてしまたのです。
この大アカギの1本に参拝所がありました。願い事はひとつと書いてありましたので「商売繁盛」を祈願しました。
首里城から南に300メートルもこの石畳で下ったということは首里駅とはまったく反対方向に来たことになります。
首里駅まで戻るのにはどうしたらいいのでしょうか。
この後の話は明日にいたしましょう。
2008年11月13日
沖縄モノレール紀行(首里城公園)



首里城公園
11月2日(日)13:55
首里城公園は、世界遺産である史跡「首里城跡」を中心に古都首里の風土が育んできた地形や水質、植生などを残すことを考えながら、多くの地域から人々が訪れ、交流し、そして、共感することのできる新しい空間をめざして整備されてきたとのことです。
資料によるとこの考え方は「首里杜(すいむい)構想」と呼ばれているようです。
この時期、首里城祭というイベントが10月24日から11月3日まで行われていました。これは秋の一大イベントなのです。
事前の資料調べでこの行事が行われていることを知っていた私は是非ともここで行われる琉球舞踊の公演を見てみたいと思っていたのです。
実のところをいうと10月26日には「琉球王朝絵巻行列」という歴史史実をもとに国王・王妃行列、冊封使行列に伝統芸能行列を加え、現代のイベントとして総勢約1000人の参加者で繰り広げられる行事や11月1日には中国皇帝が周辺諸国に使者を派遣し、皇帝の名のもとに、その国の王を任命する儀式を再現した「冊封使行列・冊封儀式」という行事が行われることを知って自分の時間のなさに苦虫を噛みつぶしたような気持ちになったものです。
そこで、今回は沖縄伝統舞踊だけでもみようと決心していたものですから下之御庭にある舞台の前に張られていたテントの中では前から2列目のいい場所を確保し、しっかり見てきました。
この日の演目は「琉球王朝 舞への誘い」と題されていました。ツアー観光で首里城に訪れると時間の関係や正殿見学の関係などでわざわざ時間を取って伝統舞踊を見ようとすることはないのですが今回のように伝統舞踊をメインに訪れるという方法も一興があっていいのではないでしょうか。
公演は舞台上に三線奏者の男性が4人、舞うのは女性、全員で6人だったと思います。琉球の衣装を身に着け舞います。
演目は若衆特牛節・四つ竹・柳・谷茶前・貫花の5曲でしたが、中でも華やかな伝統衣裳を身に着けて三人の女性が踊る「四つ竹」は生で初めて見る私には新鮮なものとして映りましたし、面白さも感じました。
「四つ竹」とは竹製のカスタネットとご紹介すればお分かりになるでしょうか。4枚の竹を左右両手に2枚ずる持ちぱちんぱちんと打ち鳴らします。このリズム音と三線の響と舞踊が調和してすばらしい舞台を作り上げていきます。
先にイベント紹介の中にも書きましたが中国皇帝の使者が琉球王国に訪れたときにはこのような舞踊を披露して歓待したらしいのです。
心地よく琉球の伝統を満喫している私に一本のメールが入ってきます。
2008年11月12日
沖縄モノレール紀行(首里駅)



首里駅
11月2日(日)13時20分
沖縄そばをお腹にいっぱい入れ、いい気分のまま、首里駅に向けて市立病院前駅から出発した私、気持ちは首里城公園にいけいけであった。ただ、感覚が自分の電車利用から抜けていないのだろうか。首里駅に着くまでに一息つけるのではと思っていました。
しかし、乗車時間はたった5分。
「短い!」。もう少し落ち着いていきたいと体が訴える。脳は「さあ!」と声を掛ける。体と脳がばらばらの行動をとろうとしています。
体がバスで行けという、脳が歩けという。この鬩ぎ合いは脳の勝利。首里城公園までの約20分間、町並みを見ながらの散策と決め込むと脳が体に告げのでありました。
ところで、話を駅に少し戻してみよう。
首里駅はゆいレールの終着駅で首里公園を中心とした史跡観光の出発地点です。
また、観光とは別に市外へのバスの乗り継ぎ駅でもあるのです。でも、私の見たところバスターミナルがしっかりしていません。
日常でゆいレールとバスを利用している住民の方々にはよくわかっているところなのでしょうが観光で来た私には乗り継ぎが不便なような気がしました。
脳が体に勝利した要因もこの現状が影響しています。もう少し時間が経過すれば整備されてくるのかも知れませんけどね。
さて、首里城公園へ足を運ぶ私、町並みの中に三線の無料講座を行っている店舗や琉球舞踊の組織事務所や教室を目にすることでこの地域が琉球の伝統を重んじていることがよくわかりました。
歩き始めて10分ぐらい経ったでしょうか。多くの若い人たちの姿を目にすることとなりました。県立芸大の大学祭が行われているようです。
キャンパスの中には誰でも入れるようです。私は14:00から首里城の正殿前の広場で行われる琉球舞踊が見たいという気持ちがありましたので、キャンパス内には入ることはせずに、道端から見学できる学生たちが演じる東南アジア系の楽器と演奏とダンスを1曲だけ見たのです。練習の成果なのでしょうか、とても面白みを感じました。
首里城公園まではもう少しです。同じように学生の熱演を見ていた外国人観光客の一団が移動を始めたので私もそれにつられるように歩き出しました。
途中、弁財天堂を右に見て、のぼりに差し掛かったところに樹齢を重ねた木々が何本もあり、まさに歴史のなせる業の中に自分が引き込まれていくような気持ちです。
定番の守禮門もそこそこ見学し、首里城内の正殿に向けて入っていきました。
さあ、14世紀に立てられたという歴史あるこのお城の中で伝統的な琉球舞踊を見てみようではありませんか。わくわくするな。
2008年11月11日
沖縄モノレール紀行(しむじょう)



しむじょう(沖縄そば)
11月2日(日)12時20分
車の道順を歩き、高台の店に到着すると迎えてくれるのは築150年の石垣と樹齢100年という椿の木でした。椿は花をつけてはいませんでしたが、この石垣とのマッチングは思わず「いいなぁ」の世界です。
国の有形文化財に登録されている畳の部屋に入るとこれが昔ながらの沖縄民家の作りであることを教えてくれます。
このような古民家をうちなー屋というらしいのです。
大きく開けられた窓から入ってくる風は私たちの地方では夏の終わりから初秋を感じさせる爽やかさです。
客は旅行客ばかりでなく、地元の人たちもいます。沖縄の方言がこの空間に深みを加えているように感じました。
庭の一画でも食事ができるようにテーブルなどが置かれており、外からも方言交じりの会話が風に震えています。
さあ、沖縄そばを楽しみましょう。
私の注文したメニューはそばセット。三枚の豚肉をそばの上にのせた三枚肉沖縄そばと野菜系の小鉢が2品、そしてジーマーミ豆腐とジューシーご飯。もちろんオリオンビールを忘れることはありません。
シーマーミ豆腐とはピーナッツのくず寄せのことで、「ごま豆腐」に似た精進料理の一種です。
用途も精進料理と同じように法事や縁起物として祝い事に使われるようです。高カロリー・高蛋白質と栄養価の高い食材であると資料には書いてありました。
ジューシーは沖縄風炊き込みご飯です。
沖縄風炊き込みご飯の具としては豚肉・昆布などが中心ですが私たちの食卓と変わらず炊き込みご飯の具は料理する人や家庭の好みでどんな具でも入れてしまいますでしょ。
実際、名前はわからないものもありましたが具材がたくさん入れてありました。
最後に三枚肉そばは鰹のダシがしっかり効いているさっぱり味でした。肉の厚さや味付けも申し分なくおいしかったと思います。
私のこの頃の食生活には適したおとなしい味と申せましょう。
以上のような沖縄の家庭料理を片手にオリオンビールを持ちながら食することができてとても嬉しい気持ちになり、思わずにんまりでした。
沖縄での最初の感動は、古民家、うちなー家で過ごしたゆるりとした空間と時間をゆっくり味わうことができたことでしょうか。
<お店データ>
098−884−1933
那覇市首里末吉町2−124−1
11:30〜売り切れ次第終了
水曜日休業 駐車場15台
ゆいレール市立病院前駅から徒歩直線距離で約五分(行きはもう少しかかるかな)
2008年11月10日
沖縄モノレール紀行(市立病院前駅)

市立病院前駅
11月2日(日)12時05分
駅名のとおり那覇市立病院が南側にあります。資料によると病院までの連絡通路もあって、利便性も確保されているようです。
さて、病院とは反対側の山の斜面にこれから私が食事をしようとする場所があります。
その場所まで徒歩で行く必要があるのです。
事前に手に入れておいた地元出版社によるガイドブックを見ながら登っていこうとするのですがなかなかうまく道を見つけ出せません。
車での道順は書いてあるのですが徒歩での道順は書いてないのです。これもゆいレールを使って市内観光をする人が少ないということの表れなのでしょうか。
目標は末吉公園というところです。(資料によれば、広大な敷地にさまざまな緑や花、野鳥や虫たちが共存する自然が残っている公園だそうです)。
地図には平面で書いてあるのですが実は先にも書きましたように山の頂上付近です。
山といっても標高何百メートルというものではなくちょっとした丘というイメージなのですが、車で登るとなるとぐるぐると回って登るという感じになのです。
私もその地図が示すルートで登っていくと相当の距離を歩いたことになりました。
最初の徒歩行動からこれか?と自分にちょっと後悔の念を抱きつつぼちぼちと歩きました。
登りきった高台からの景色がちょっとよかったので疲れを感じながらも充足感はありましたし、何よりの目的は昼食をありつくことでしたから欲望には人間は勝てないということを痛感しました。
このあと、食事をして市立病院前駅に戻ろうとしたときに私の登って来た道と地図、そしてこれから歩いて戻れる最短の道を確認したのですが愕然としました。
なんと駅まで一直線で行けるじゃないですか。
この丘の斜面を利用して生活している人々と同じ道を徒歩で上り下りすればほんの少しの距離で駅まで帰れます。
徒歩での散策は地元住民になることだと気づかされた場面でした。
珊瑚礁を含んだ石で作られた階段を地元住民のような顔をして歩いて行くと沖縄の匂いを感じたような気がしました。
明日は私の昼食をご紹介するつもりです。
もちろん、ソーキそばのお店です。
2008年11月09日
沖縄モノレール紀行(那覇空港駅)

那覇空港駅
11月2日(日)11時50分
那覇空港に到着すると雨は降っていませんでした。晴れ男の力量発揮かなとちょっと嬉しくなりました。でも、この日だけになることなど露知らずです。
さて、航空機から降りた乗客は到着ロビーから航空手荷物を受け取って沖縄観光に出かけます。
これまでの私の旅もすべてがバスツアーで空港までお迎えに来てくれるバスに乗り込むことで目的地に行くことができるという気楽な旅だったのです。
しかし、今回はそうはいきません。初めての体験であるゆいレールへ乗車するためにはまず始発駅である駅を見つけ出さなくてはならなかったのです。
那覇空港駅は空港ビルの横に隣接するビルの2階からの出発でした。人の流れはほとんどがバスターミナルです。私は時には違う方向に行く必要があり、初体験の私にとっては駅に到着するまでのほんの短い時間ではあったのですがちょっと負担を感じた時間でした。
ところで、昭和47年にこのモノレール構想が提案され、営業の開始されたのが平成15年8月ということですので、30年間もの長い時間をかけての大事業ということです。
現在、開業してからまだ5年ということですが新しい公共交通機関の始発駅として、また、終着駅としてどのような使い方をされているのでしょう。
旅行者にとっては玄関ですから利用方法は自ずと決まっているわけですが、沖縄県民にとってはどうなっているのでしょうか。
通常であれば県民の利用方法として一番に考えられるのは那覇空港駅から空港に向かいお見送りやお迎えのするというものでしょう。
ゆいレールに乗っていて気づいたのですが空港に向かうモノレールには観光客より多いカップルが乗車している光景が目に映りました。
これは私が飛び立った中部国際空港セントレアと同じようにプレイスポットやショッピングの場所として空港が使われ始めている現象ではないか思われます。
ターミナルビルにはゆいレールで乗り付けそこで時間を費やし、食事をし、そして、自宅へ戻る。こんなライフスタイルが出来始めているのかもしれません。
ただ、それにはもう少し空港付近の設備が必要であることが感じられましたが・・・。
さて、この次はお昼を食べに行きましょう。
そういえば3日間のフリー乗車券を買ったときに思ったのですが駅員さんが非常に若い人が多いのです。
やっぱり、若い会社なんですかね。




